# 選ぶ力がない人が、損をする時代

昔は、「正解」を知っている人が強かった。
いい学校。
いい会社。
いい生き方。
誰かが道を決めてくれて、その通りに歩けば、ある程度は生きていけた。
でも今は、少し違う。
選択肢が増えすぎた。
仕事も、暮らしも、人間関係も、情報も、
どれを選んでもよさそうに見える。
そのかわり、「なんとなく」で選ぶと、静かに疲れていく。
人は、“間違った選択”そのものより、
「自分で選んでいないこと」に、あとから苦しくなる。
たとえば、
みんなが使っているから。
流行っているから。
なんとなく安心だから。
そんな理由だけで選んだものは、
時間が経つほど、自分の輪郭からズレていく。
そしてある日、
「これは本当に自分の人生だっただろうか」と思ってしまう。
だからこれから必要なのは、知識よりも、“選ぶ力”なのだと思う。
けれど、「選ぶ力」と言うと、難しく聞こえる。
本当はもっと小さなものだ。
・どんな時間が好きか
・どんな人といると呼吸がラクか
・何をしている時、自分を嫌いにならないか
そういう小さな感覚を、雑に扱わないこと。
世の中には、“効率のいい答え”はたくさんある。
でも、“あなたに合う答え”は、少し静かな場所にしか落ちていない。
だから、ときどき立ち止まる。
すぐに決めない。
流される前に、自分の感覚を確かめる。
選ぶというのは、
なにかを手に入れることより、
「これは選ばない」と決めることに近い。
時間にも、体力にも、人生にも限りがある。
だからこそ、自分の心が少しずつ痩せていくものからは、離れていい。
派手じゃなくてもいい。
遠回りでもいい。
自分で選んだ道は、不思議とちゃんと、自分の足で歩ける。
——
2026年5月11日
この日、ダリ・シアター美術館開館から52年目の春だった。
サルバドール・ダリは、誰にも理解されない時代にも、自分の奇妙さを曲げなかった。
選ぶということは、ときどき、孤独に似ている。